坂越の北前船寄港地交流第6号 

瀬戸内坂越から北前船がもたらしたもの第6号全国版 

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                                                         赤穂市教育委員会提出  ( 平成28年8月23日)

今回のご当地自慢は瀬戸内坂越のまち並みです。この坂越のまち並みについて、赤穂高校出身の西川貴士さんが鳥取大学で地域政策を専攻し、7年前に卒論で書いていました。 それは赤穂の塩と坂越の港との関係を地形や歴史からわかりやく書かれていたのでここで掲載しました。 坂越のまち並みは、白壁、海岸通りには石垣が残り、昔のまち並の風情が多く残っています。 大道には、木戸門跡、坂越まち並み館、坂越浦会所、そして大道の奥には大避神社があり、それは都市景観100にも選ばれています。 今回はかっての坂越をその卒論から紹介しますが、機会をみて赤穂版で氏の今後の課題を要約し、坂越まち並みを創る会の門田会長に返答して頂く予定でいます。(矢竹 考司)

 

「歴史的町並みの比較研究 ―瀬戸内の港町・坂越を中心として― 」(要約)                                                                                                   投稿者 西川貴士(大阪府在住-尾崎出身)  

廻船業が日本経済の流通において中心的な役割を担った近世においては、港町坂越は他国他領との経済流通・文化交流の結節点として、政治中心の城下町加里屋と並び重要な役割を果たしていた。  近世の赤穂では、千種川河口のデルタを利用して大規模な塩田開発が行われていた。 大量生産された赤穂塩は、瀬戸内海の廻船ネットワークと千種川の高瀬舟ネットワークを利用して全国に輸送ルートを拡げ、赤穂に富をもたらしていた。  この製塩業という産業が坂越を廻船積出港として発展させる契機となっていた。 赤穂塩や千種川流域の諸物資は、千種川の河川港から坂越大道を通じて坂越港へ運ばれ、全国各地へ積み出されてたまた、坂越大道には商家が多数軒を並べており、人の往来も多かった。 したがって、坂越のまちはこの大道を中心に繁栄していたことがわかる。 この坂越では海から来る文化と、川から来る文化とが融合していた。 瀬戸内の港町においては、海路を通じた経済活動の中で財力の蓄積があり、その余裕の中で人々が学問に励み

 文化的意識の高さを育んだものと見ることができると氏は述べています。坂越の歴史的町並みは、T字型に形成されている。一方、鞆や室津など瀬戸内の多くの港町は、近世には海岸線沿いにまちが発展し、現在は歴史的な町並みとなっている。 鞆の歴史的な町並みや室津の「本陣街」に面した旧商家は、裏口が港に接する家屋構造となっているが、坂越の場合は、玄関口を港に向け、高さ約1mの石垣の上に建てられているのが特徴である。このような家屋構造をもつ旧商家は、坂越ではかつての海岸線沿いに多く見られる。  坂越のこの特徴的な町並みがT字型となったのは、坂越の経済流通・文化交流の中心が海岸線沿いでなく、港の西北に向かう坂越大道にあったからである。坂越大道には、ほぼ全体にわたって古い町並みが形成されているが、とりわけ港の近くに間口の広い堂々とした豪商建築が集中している。 “人の流れ”と“物の流れ”を生み出した坂越大道は、港町としての発展を支える坂越のメインストリートであったといえる。 この坂越大道が発展したのは、坂越が瀬戸内海水運だけでなく、大道の先にある高谷の河川港を介して千種川水運とのネットワークとも結びついていたからである。 本来、河川の流域をもつ港に大型廻船が入港することは困難であった。  加里屋は赤穂藩53,000石の城下町でありながら、千種川の河口港としての役割も果たしていた。 しかし、上流から運ばれてくる土砂によって河口にデルタが形成され、遠浅の海岸となったために、西廻り航路を航行する大型廻船の加里屋入港はほとんど実現しなかった。 その反面、鞆や室津には河川がないため、西廻り航路を航行する大型廻船の入港に適していたと考えられる。 ところが、坂越は河川の流域をもつ港でありながら、大型廻船の入港が可能な港であった。そこでは、単に人が立ち寄っただけでなく、坂越大道を通じて赤穂塩や千種川流域の物資が積み出されたという歴史があった。 それゆえ、坂越のこの特徴的な町並みがT字型に 形成されたのである。 これは坂越の港町としての個性であるといえよう。

                     門田守弘(坂越のまち並を創る会会長)