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坂越の北前船寄港地交流第7号

日本海酒田から北前船がもたらしたもの第7号全国版

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                                    平成28年9月6日赤穂市教育委員会提出

              投稿者 矢竹 考司 (東京都在住)

  今 回は、北前船寄港地を日本遺産に申請する山形県酒田市からの話です。  

酒田では北前船にとても熱心なガイドの豊岡紘子さんに自転車で効率的に案内をして頂けました。  案内された日和山公園には北前船航路を確立した河村瑞賢の銅像がありました。 また立派な常夜灯の南側に、坂越田淵文治朗、北側の文字は消えていたので「酒田の歴史」中学生向けの副読本から播州坂越田淵庄三朗と高田屋手中の文字が並んであるのををみつけました。 田淵家は赤穂で1673年より塩田、塩問屋、廻船業を営み文化文政時代(1804→1830)には日本最大の塩田の持ち主でした。 常夜灯は1813年が建立で、坂越の地名から田淵家も坂越港から塩を積み出していた可能性があります。 これで赤穂塩は坂越港から酒田つまり北前船でも塩の廻船をしていた可能性が高まりました。

そこでこれまでに調べた赤穂塩の日本海側での足跡について振り返ります。新潟五十島村渡辺文書に1768年の1年間に取引された塩は17万俵余りとの記録があり、竹原塩は1両あたり12俵余り、赤穂塩は15俵との記述がありました.また新潟県史には、80%程が竹原と播磨との記述から、この時代の越後では、竹原、播磨からの塩が年に14万俵程だった事になります。 赤穂版5号で播磨塩の多くが赤穂だったとする根拠として佐渡に残る文書の内容を示し述べています。 更に山形県史には播磨塩と、翌日行った秋田図書館にあった「秋田海岸における製塩の推移」には赤穂塩との記載があり、いずれの地方も塩の生産に打撃があった記述がありました。このように坂越が北前船で活躍出来た背景は、赤穂塩が、日本海側の塩に比べて驚く程安く、品質良かったからです。 また大量に生産が出来たのは、塩田の開発を早くからしていたからでした。 赤穂市教育委員会の発表資料にも、赤穂藩初代藩主浅野長直が入封した1645年には、すでに塩田開発が行われていた事が『播州赤穂三崎新浜村沿革略記』に述べられ、1646年に姫路藩の塩田村から移住してきた塩民によって入浜式塩田が完成した事が書かれていました。こうして大量に生産出来るようになった赤穂塩を、価格が格段に高かった日本海側特に東北にまで運び赤穂藩の財源に側面から協力していたようですが、赤穂の塩生産者と坂越の廻船業者が日本海に販路に求めたのかも知れません

次に豊岡さんに案内された  酒田市資料館では偶然会った、庄内酒田古文書館の杉原館長から、つい最近新たな大量の古文書が発見されたので、坂越の廻船や赤穂塩の事で新たな事実がわかるかも知れないと教えて頂きました。またこの日、この資料館の野村さんが、東京の文化庁で、北前船の日本遺産申請についての会議に出席されていたので、進捗状況等の話は聞けませんでした。 ここでも全国版、赤穂版を冊子をお渡ししました。

この後からは一人で、酒田美術館の北前船寄港地フォーラムの議長で発案者の石川館長を訪ね、学芸主幹の熱海氏から話をお聞きした後、北前船日本遺産応援饅頭と共に冊子をお渡ししました。  その後は、荘内日報の富樫編集長を尋ねましたがご自身が新聞協会に投稿したものを再投稿して頂ける事なりました。これは事前に全国版がネットでも見れる事を言っていたからでした。

 最後に尋ねた大信寺の住職のお話では過去にも住職がかわり、ご自身も長野から来たと言っておられました。 墓地は広大でしたが、酒田市史にあった他国船墓地と確認出来るものはなく、元禄時代の他国船員の墓は大西家のものだけが残っていました。 それはその墓がとても立派なものだったからだと感じました。この時坂越の人の活躍と苦難を坂越の人達にも伝えねばと思いました。「酒田の歴史副読本」では、大信寺の過去帳には遭難等で客死した北前船の船員は坂越浦の人が一番多いいと書かれていました。 

終わりに、酒田駅についた時、ガイドの豊岡さんが出迎えてくれていました。まず見せて頂けたのが、日和山公園にある常夜灯北側のある播州坂越.田淵庄三良と消えていた文字で、これををわざわざ書いてきてくれていました。また「酒田の歴史」中学生向けの副読本がある事を教えて頂けたのも豊岡さんでした。豊岡さんは酒田の来られるまでは江差の高校の教員でもあり江差追分の舞踊もされていたようで、北前船に思いを寄せる背景がわかりました。その後も沢山の資料に送って頂き、丁寧な手紙が書かれていたのにはびっくりしました。酒田では北前船にあつい思いのあるガイドに出会えてよかったと思っています。

 

      発行者 門田守弘(坂越まち並みを創る会会長)