瀬戸内坂越の北前船交流記

第19回までは「瀬戸内坂越から北前船がもたらしたもの全国版」を再構成したものです。

瀬戸内坂越の北前船交流記第10号(赤穂塩)

   坂越の北前船交流記第10号(赤穂塩)

 

     

 

           2016年10月23日  

 かつて赤穂塩は、江戸では差塩、大坂では真塩がブランドになっていました。

 

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当時の「製塩用具」は国の重要有形民俗文化財になっています。

今回は瀬戸内の塩が苦難な時代、それを乗り切った赤穂塩の話です。  

瀬戸内海と日本海の塩に、大きな価格差があった時代がありました。 

 それは、やがて瀬戸内の生産者も塩に苦しめられる事になります。 

 良品質で、驚く程安い竹原や播磨の塩は、日本海の塩生産に1680年代から影響が出始め1696年には塩生産が出来なくなっていたと、新潟県史や山形県史にありました。これは三田尻で入り浜式塩田が1699年初めて出来る前の事でした。

 こうした事から、竹原市史には越後地方の古文書から竹原塩と赤穂塩の相場の比較が掲載されていました。
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また、佐渡に残る客船帳には、播磨船籍104隻の内、坂越の廻船が52隻の記録もありました。

 しかし、播磨塩の内赤穂塩がどの程度あったかは文献がなかったので、調べるには困難でした。

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 10倍近い価格差があった時代は、長くは続いていない。

 瀬戸内海沿岸に大きな塩田が次々に誕生し、生産過剰から価格が下落し、長期の塩田不況を招いています。

 

赤穂は、大消費地大阪が主要販路だった事、休浜替持法や製塩燃料の転換から、塩田不況を乗り切る事ができました。

 この製塩燃料について、佛教大学で千原義春さんが卒論の、最後のまとめの部分を要約して掲載が出来ました。(矢竹)     

 

              赤穂塩業と製塩燃料について

 

製塩において、煎熬に用いる燃料の確保は極めて重要な問題であった。

 近世に入って塩田開発が進むと、薪類の需要が増え、それまでのように塩田周辺だけではその需要をまかなえなくなった。 

 そこで、塩田所在地に流れ込む河川の上流部や他領からも薪類を移入するようになる。 しかし、製塩燃料としてのみならず都市生活の発展に伴う家庭用燃料への需要も拡大し、薪類は供給不足となりその価格は高騰した。

 薪値の上昇は、塩田濫造が要因の不況に拍車をかけていた中、塩田不況打開策として休浜替持法とともに導入されたのが石炭焚である。塩業者らは、製塩燃料として石炭を利用することにより生産費を抑制でき、不況を乗り越えられたのである。  

 赤穂で用いられた石炭は、当時の史料によると、全て肥前国から廻送され、その年間移入量は天保から嘉永頃までの平均でおよそ4900㌧であった。 製塩燃料として石炭を導入で、コスト削減や技術の発達等のメリットがあった。


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一方で、塩田労働者や塩田に薪類を供給してきたその生産者の収入減といった問題も生まれたが、赤穂では、この問題は上方市場に近いという経済的地理的条件により特に発生しなかった。 

 

 本稿では、塩田不況打開のための、もうひとつの不況対策の休浜替持法に関しては、ほとんど言及していない。 

 石炭焚には、「生産費を減少せしめ塩業合理化をはからんとする、休浜法の一分野を占めるもの」という側面があり、石炭焚と休浜替持法は密接不可分の関係にあるといえる。  

 また、石炭焚の開始によって塩田経営が持ち直したことを、総生産費に占める燃料費の割合にのみ着目して考察した。

 だが、例えば明治初年頃の場合、石炭代が急騰しその費用の総生産費に占める割合は高くなったものの、燃料費以上に塩価が上昇し、大きな利益をあげることができたという。 

 このように、燃料費が高騰したにもかかわらず利益の出た年があったことを鑑みると、石炭導入による塩田経営の改善を論じるには燃料費に注目するだけでは不充分であったといえる。 

 それ故、塩田経営全般を俯瞰したうえで石炭導入の利点を検討すべきであろう。 さらに塩業史の観点から、江戸期後半になって誕生し、一時は日本一の塩田の持ち主だった田淵家のような豪農と、その経済活動等を手掛かりに、近世社会が変容し、やがて近代へと移行していった過程を考察することも今後の課題としたい。 

 千原義春(佛教大学大学院修士課程・歴史学専攻)