坂越の北前船寄港地交流第18号

青森野辺地から北前船がもたらしたもの第18号全国版

赤穂市教育委員会観光協会提出(平成29年2月14日提出)

              投稿者 矢竹考司(東京都在住)

f:id:kitamae-bune:20170207215427j:plain


青森駅から青い森鉄道に乗って野辺地に着いたのは去年の9月でしたが、途中の青々と繁っていた木々に青森の地名の由来を感じました。

f:id:kitamae-bune:20170207221635j:plain

ここでは、野辺地歴史探る会の会長の鈴木幹人さんから多くの事が聞けました。それは野辺地が六ケ所村と隣接している事、日本最古の鉄道防雪林、そして北前船の話からは、野辺地は帆船時代北方交易の重要な拠点の1つとして、有力な豪商たちが競って入港していたのがわかりました。
坂越の大西家の足跡が1812年が最後の寄港となっていた事は事前に教え て頂いていまし た。こうした事から新たな資料に期待していたのですが、廻船問屋五十嵐家に残っていた野辺地久星客船帳に大西家の入港記録があるだけで坂越の新たな資料は残されていませんでした。瀬戸内では竹原の塩の取引の古文書が沢山残され展示さていました。
  ネット上の「文化分解」のサイトには、奥籐家は年2回、塩を積み込み瀬戸内海から日本海を北上し陸奥湾内の野辺地や田名部で材木を、酒田で米を積み、大阪へ運んでいたとの記述があります。しかしこれを示す根拠となる文献はここにもありませんでした。
 また、北前船とともに上方から入ってきた食文化や祭りは、長い月日をかけて青森の地に根付き、今では上方では忘れさられているようなモノコトが、本州最北端の青森に残っているという現象 があるのがわかりました。
その1つに、下北地方の「べご餅」があり、このべこ餅は北前船によってもたらされた砂糖と伝統的な和菓子の製法で作られたといわれ、これが北前船で北海道にも伝わっている。当時は白黒だったようでしたが、地元のお母さんたちが互いにスキルアップを重ねることで進化をとげて残り今に至っているようです。このべご餅は青森駅の売店であったものかもしれませんが確認ができません。

 もう一つは青森県には20程のねぶた祭があり、この起源は諸説あるようで、どれも伝承の域を出ないようです。どれが正しいかという論議より、どれも正しいと理解するのがよさそうです。その中には京都祇園の流れをくんだといわれている祭りもあり、これは北前船が運んだのは明ら かです。また北前船が活躍する以前から近江商人の存在があり、近江商人の発祥の地である滋賀県高島市には現在でも田名部祭りに類似した山車祭が存在する事から、田名部に伝えられたものと考えられているようです。

f:id:kitamae-bune:20170210181420j:plain

 また田名部まつりは京都八坂神社の祇園祭りの流れをくむとされる説もあり、山車の形態、囃子にその痕跡があるといわれています。これもどのような経緯で伝えられたかははっきりしていないようですが、北前船が運んだと考えていいと思っています。この祭りはかなりの経済力がなければ、山車本体、山車に使う豪華な調度品、御神体などを買うことはできな い事から、その背景に経済的に余裕があった北前船の廻船業者の存在があり、今日まで維持し守り続けることができたのがわかります。この点は「坂越の船祭り」の構図と同じようです。
このねぶた祭りは青森を除いて全国に40ほどあるといわれ、この中には、能登半島の先端にある珠洲市飯田町の「飯田燈籠山祭り」で使われる山車で、「燈籠山(とろやま)」と呼ばれている祭りがありました。珠洲市の塩田村の横道社長と東京の帝国ホテルでお会いした時の話で、赤穂等の安い瀬戸内の塩を流入を抑える為に加賀藩は厳しく北前船の入港を監視していたと聞いていましたが、このネブタ祭りの話から、青森から入る北前船には規制していなかったのがわかりました。
また鈴木氏が編集責任者にな っている、「野辺地歴史を探る会」のフエイスブックでは、野辺地の歴史を古文書を使い研究されているのがわかりました。このサイトから銭屋五兵衛の話等、加賀藩の話が多くあり野辺地の深い関係から、祭りにも影響していたのだと思いました。また野村屋治三郎が北前船で運んで店前に敷いていた敷石が後に愛宕公園の移設され階段の敷石となっている事から小豆島土庄町産出の残石公園と兄弟石であるとの縁で友好記念公園協定を結ばれていた事もわかりました。
 

f:id:kitamae-bune:20170207222027j:plain

終わりに野辺地は今年9月北前船寄港地フォーラムが開かれます。これにあわせて1月26日に東京の椿山荘で北前船寄港地フォーラムの新年の会に来られていた、野辺地の中谷町長と鈴木氏や野辺地の歴史を探る会の話が出来て野辺地に行っていてよかった と思いました。次回の19号は東京椿山荘から書く予定です。
            発行者門田守弘(坂越のまち並を創る会会長)